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~下町物語~

入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、おもしろおかしく書く綴るブログである。

国語がまってく駄目だった僕がブログを書き続ける理由

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Byrurineko

8月 1, 2014
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ぼくは、まず文字を読むことが嫌いだった。
文字を書くことも嫌いだった・・・・。

だから、昔からまともに本など読んだことが無かった。
それは学校の教科書でも同じ。

そういう状態で小学・中学・高校とすすむ時に
パソコンというツールが家に導入された。

当時、日本国内のパソコンはNECか富士通かシャープと決まっていた。

うちにきたのは、NECのPC6601SR(CPUはZ80 別名MrPC)という
当時最先端のワイヤレスキーボードを搭載し、なおかつ片面単密ではあるが
3.5インチのフロッピーディスクも1台搭載されていた。
さらにもう1つオプションとして、1台増設する事が可能という代物。

また、そのほかの記憶媒体としては、
ノーマルのテープによる記録を行うレコーダーもオプションだったと思うが
買って取り付けた。

持ち主は、兄貴のものであったが
当時の金額で数十万 今の価値だとへたしたら50万のるか載らないか
そういう金額の代物だっと思われる。

価格は、当時の価格で本体・TVにもなるモニターと
ワイヤレスキーボードで155,000円となっている。

それを触るうち、キーボードによる入力と変換(当時日本語デベロッパー)とか
呼んでいた気がするが、そのFDを入れることによって
キーボード入力によって漢字入力が可能になったのだ。

そこから一気に私は文字を書くのはパソコンで書こうという
いわゆる今のスタイルが確立されたのだ。

それは小学生の頃である。

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